Enhanced Life based on Passion and Chance

パーソナルキャリアコーチ石川英明のブログ

パーソナルキャリアコーチ石川英明が、
キャリアの考察を軸に、気の向くままにテーマを選んで思考を深めていくブログです。

「これから「正義」の話をしよう」を読み

category : enhanced life, 社会論・心理学・科学・教養・宗教など

■功利主義からスタート

僕は高校生の時に強烈に影響を受けた。
ベンサムの「功利主義」。

この本ではこれは「多数決」の論理として描かれている。
功利主義者は「最大多数の最大幸福の増大」
のためには「誰かが犠牲になる」こともやむなしとする。

5人の命を救うためには1人が犠牲になってもしょうがない。
という考え方。

しかし、これは自分がマイノリティにいた場合には
受け容れがたい主義だとサンデルはいう。

■「個人」を絶対視する自由主義

自由主義者は、多数決をよしとするわけではない。
個人には、他人に不可侵の権利が存在する。
そう考える。だから、100人の命のために一人が犠牲になるということは、
本人の自由意思を無視して行われてはならない。

自由主義は、今現在とても人気のある考え方だ。
「自己責任の時代」と言われ、
全ては自分次第なのだと。

10億円稼ぐだけのパフォーマンスを上げれば、
10億円を手にする権利がその個人にはある。
それを累進課税などして、個人から奪うのは
国家による簒奪に過ぎず、その真実は「奴隷制」である。
それが自由主義の考え方だ。

自分がアクセンチュアに入った頃、
僕はこういう考え方が強くあったように思う。
実力主義じゃない会社なんてまっぴらだと。

■平等とは何か。米政治哲学者ジョン・ロールズ。

僕はこの本を読むまでジョン・ロールズという人は知らなかった。
しかし彼の論理展開は面白い。

自由はいいのだが、自由競争の前提は「公正」さが必要となる。
公正であるというのは、誰しもが同じ条件で競争を始められるということだ。
ジョン・ロールズはそう言う。

しかし「誰しもが同じ条件」などということはありえない。
裕福な家に生まれれば質の高い教育を受ける機会が増える。
本人の意思や努力とは関係ないところで、差はついている。

ロールズはさらに突き詰めて考える。

才能だって、本人の意思や努力とは関係ない。
豊かな才能を親からもらって生まれてきたら、
成功する確率が高いのは当然だ。

だから、成功したからといって本人が努力したとは限らない。
ロールズ曰く、「努力する才能」ですら、
本人が獲得したものではなく、環境による要因の方が影響が
全然大きい。

それをつきつめて考えていくと、
たとえ素晴らしい業績を残した人であっても、
みすぼらしい結果すら残せなかった人であっても、
そこから得る報酬には差がある必要がない。

なぜなら、素晴らしい業績を残せたのは
「たまたま運よく、才能豊かなDNAをもらい、
 たまたま運よく、努力する習慣が身に着く家庭環境に生まれ、
 たまたま運よく、自分の才能が換金されやすい市場環境があったから」
でしかないからだ。

■アリストテレスにとっての政治

アリストテレスによれば、都市国家というものは「善の促進」
というのが目的なのだ。

「都市国家の目的と目標は善良な生活であり、
 社会生活の制度はそのための手段である」

最も評価され、影響力を振るうに値する人物とは
すぐれた市民道徳を持ち、共通善について熟慮するのに
最も長けた人たち。
それがアリストテラスの主張だとサンデルは言っている。

———
P270まで読んだ。この本はP345まである。

——-

何を「正しい」と考えるかは、
自分の思考の癖に依存している、
ということをあらためて実感した。

Comment now » | 2010/8/3(火) 15:44

お師匠さんとの時間

category : enhanced life

僕は勝手に、ある人(たち)を師匠と呼んでいる。
先方は、弟子をとったつもりもないだろうし、
こんな不出来な弟子なら破門にしたいだろうけれど、
勝手にそう思っている。

さらにいうと、僕はお師匠さんのいる場所にいる人たちがみんな好きで、
第二の家族のように思っている。
自分にとっての”支え”だ、と思う。

で、今日その師匠のところに挨拶に伺った。

お師匠さんは僕が訪ねると、
なんやかんやといろいろな話をしてくださる。
それは、とりとめのない話であったり、
助言であったり、
世界の話であったりする。

その時間を持つと、僕はだいたい宿題を持って帰ることになる。
これはもうちょっと考えないとなとか、
ここはちゃんと反省しないとなとか。

なんだけれども、
毎回いつも、そこにいくと僕はすごくエネルギーが高まる。
まさに、充填された感じに。

今日も「真剣にやろう」とリラックスできた。
なんでこんな言い回しになるかは、今村上春樹の本を読んでるからだと思うんだけど、
まさにぴったりな感じ。

真剣にやろう、と腹の底で思える。
そして、肩の力は抜ける。

僕には為すべきことがあって、
何をするべきなのかはほとんど明白なようにも思える。
で、だいたい邪魔するのは僕の矮小な自我。

仕事をする、テニスをする、食事をする、内観をする、
その一つ一つにたいした善悪はないけれど、
その瞬間にどれだけ命をかけられるかは、とても重要なことに思える。
命をかけることができないのは、自我が恐怖するから。
世界の善性を信じきれないから。

僕は人に強さを求める。
弱い人といると、自分の弱さが浮き彫りになって不快だから。

僕は、人に期待することを全くせずに、
人を心から愛せるようになりたい。

なりたいけど、なれないけど、
「なる」という強い覚悟を持って生きたい。

まとまりはないけど、
僕のblogはまぁ、それでいいか。

3 Comments » | 2010/3/5(金) 16:33

久しぶりにblog

category : enhanced life

いよいよ社会人スクールをスタートさせます。スクールというか「切磋琢磨コミュニティ」ですかね。
僕にとっては本当に「いよいよ」で。

このblogはすっかり更新してないんですけどね。
さっきこのドメインの契約を9年更新だけはしておきました(笑)

不特定多数の人に何かを書く、
ということに対して色々と考えてしまって。あんまり安易なことも書けないなぁとか、
なんていうか、昔はとりあえず自分の思考を整理する場として、
こういうオープンなスペースを使うことに抵抗がなかったんですけどね。

しかし、メルマガを始めます。
これは20代のビジネスパーソンに向けた「キャリア構築」の観点を明確に意識したものです。
こういう方が今の僕には書きやすいのかもしれないです。

これからもご支援のほどよろしくお願いします!

1 Comment » | 2010/2/16(火) 22:49

” 育成”でする2つの質問

category : 未分類

今日人と話をしていて
そうかぁなるほどなぁ、と自分で思ったりしました。
人に聞いてもらって、ポッとでてきた言葉に自分自身が”気づく”という経験は結構あります。
聞いてくれる人というのはありがたいなぁ、とつくづく思います。

「育成っていうのはすごく単純化して言ってしまうと2つの質問で成り立ってて。
一つは『あなたはどうなりたいのですか?』
もう一つは『この仕事を通して、なりたい自分に近づくチャンスはなんですか?』
だと思うんですよねー。」

まぁ暴論だなぁと思いながらも、自分の言葉ながら「へー、そういうもんか」
と思ったりもしました。これって何なんでしょうね。誰かが僕の口を使って言わせたからなんですかね。

組織で働くうえで2つめの質問は重要だと思います。
なんでもかんでも「あなたの夢に向かって頑張りなさい」ってのはちょっとおかしいなと思います。
それで、やっぱり1つめも重要で、この質問に対する答えを”本音”で言ってもらえる上司かどうか。
それが大事なんだと思います。

ホントになりたい自分がいて、目の前にある仕事とのつながりが見えなかったとき、
そのつながりを一緒に探すというのが、育成という仕事の一つのコアだと思うんですよね。

2 Comments » | 2009/7/24(金) 0:00

“最近の若手”

category : 未分類

自分が学生の頃と比べて非常に優秀なところがある一方、
非常にもろいなと思うことも多い。

特徴としては
・やたらに空気を読む
・でも、空気を読んでコミュニケーションが切れてしまう
・”教わる”という姿勢がない。目上の人への敬意がない。なんでも自分で考えたがる。
・逆境に弱い

こういった問題意識から始まって、
ある会社さんで新人研修も一緒に開発させていただいたりもした。

まず、とにかくコミュニケーションが希薄である。”薄い”。
量はあっても、質が非常に低いと思う。これは由々しき問題だなぁと感じる。

ケータイの問題、核家族/共働き、一人っ子の問題などが、
これに直結しているだろうと感じられる。

最近の学生は本当に面と向かったコミュニケーションが下手だ。
ちょっと違和感があったり、感情的になったりすると、
そこでコミュニケーションを止めてしまう。
「どうして意見が違うのか」ということについてコミュニケーションせず
(それこそが本当のコミュニケーションだと思うのだが)
「人それぞれだよね」と大人のフリをしてコミュニケーションを閉じてしまう。

これでは多くの人を”巻き込んで”リーダーシップを発揮し、
社会的事業を成し遂げていくことなどできない。
社会的事業、などと大げさに言わなくても、
本当の友達関係すら作れないだろうと思う。

これは母親も仕事をもち(それ自体は価値あることと思うが)
子供とのコミュニケーションの”べったりさ”がなくなって、
親も親で、日頃子供をほったらかして仕事にかまけている贖罪として
「なんでもいいよ」「好きにしていいよ」と愛情に見せかけた
“放置”をしていることも一因だろうと僕は思う。

またケータイやネットの存在も大きいと思う。
ネットはそれこそネットワークを極端に広げたが、
それが逆に「限られた中で揉まれる」場をなくしてしまった。

それと、企業の新入社員などを見ていると、
とにかく生意気だ。生意気さというのはいい面もある。
「自分で考えよう」「自分なりの独自性を出そう」というのは
確かに大切な心持だ。しかし、「教わる」ということも大切なのだ。
それがあまりにアンバランスだと感じられる。

学校の先生も、最近の生徒が言うことを聞かないことには
ほとほと困り果てているという話を聞く。
職場で上司が叱っても本当に不満そうに「プライドを傷つけられた!」
みたいな顔をしてムスっとしている新人が多い。

守破離というのも、どんどんなくなってきているのだろう。
採用戦線では体育会系の学生が大人気だが、
“理不尽に偉い先輩”や”理不尽なルール”に対する耐性が強い
ということがその一因だろうと思う。

これまた、女性の経済力が高まってきて、
昔ほど”父親”が理不尽さを認められなくなったことは大きな要因と思う。
昔は、とにかく父親と言うのは偉かった。無条件に。
父親の言うことをは聞かなければいけなかった。なぜならば偉いから。

それが、女性が、つまり子供にとっては母親が、
平気で、子供に向かって「お父さんなんかね」と言えるようになったことも、
目上の人への敬意や、無条件にまず教わる”守”という感覚を奪っていったことと思
う。

しかし、女性が経済力を持つこと自体は、なんら悪ではない。
女性も仕事をし、男性に”依存”するのではない
自立した人生を送る。それは大変な事業だが、やり甲斐のあること
であることは間違いないと思う。

「だから女性は家にいるべきなんだ」というのは暴論だと思うし、
大切なことは、そうやって家庭環境が変わってきているのに、
子育ての新しい方法論が確立されていないことではないか。
「新しい親の教科書」が今求められているのではないか。

一方で、そういう環境で育った”若者”たちは、問題児なのか?
確かにそういう面もあるだろう。世代の違う人間からすれば、
問題ばかりが目に映る。

しかし、僕は若者と触れる機会に多く恵まれているが、
彼らは僕らよりもずっと”本質”を大切にしているように思う。
若いゆえに未熟さはもちろんあるし、
自分の考えも上手く言語化できず、人に伝えられないという面もあるが、
「地球のため」とか「人類の幸福のため」ということを、
大切にしようとする本気度みたいなものは、
僕らの世代よりも濃密だと思うのだ。

ただ、彼らは”競争社会”という側面における鍛錬を
あまり積む機会がなかったから、その面で甘っちょろい言い分になったりするけれども。

昔の感覚で行くと、本当に高校生くらいの子供が
会社に入ってきたように感じられるほど、幼い。
しかし、彼らの無邪気さ、イノセンスは僕たちに大切なことを問いかけているように
も思う。

「その仕事は、本当に社会のためになっているのですか?」
というイノセントな問いから、僕たちは逃げてはいけないと思う。

また逆に
「君はもう大人なのだから、大人として責任ある振る舞いをしなければならない」
ということを躾ける責務からも、逃げてはいけないと思う。

もともと”職場”が、子どもから母親や父親を奪ったのだとしたら、
“職場”が子どもの教育をしなければならないというのも、当然のこととも思う。

2 Comments » | 2009/7/23(木) 23:53

ありがとう。

category : enhanced life

金曜日の夜は、主宰する就職スクールのメンバーたちと
“卒業パーティ”をやってきました。

まだ数名、就活を頑張っている仲間もいるんですが、
多くの人が終えたタイミングということで、開催しました。

総勢40名以上が集まってのパーティで、
まぁ学生さんの元気なこと。社会人組はやや気圧され気味で・・・(汗)

しかし、不覚にも彼らの演出に見事にのっかって、
最後は、涙を止められませんでした。
・・・まぁもともと涙腺は強いほうじゃないんですが。

独立して「自分の仕事」と一番ハッキリ言える形で取り組んできたことが、
一つの結果を出せたことを、初めて実感することができました。
「やってて良かったな」って素直に思えましたし、
少しは自分の仕事が、役に立っていたんだと実感させてもらうことができました。

ここまで来るのに、本当に多くの支えをもらいながらやってきました。
家族や、仲間や、先輩たち、そういった人たちに多くの
支えがあってやってこれました。感謝してもしきれません。

金曜日に一番強く感じたのは、
本当に素晴らしい学生さんたちに恵まれたということです。
彼らは、顧客でもあり、教え子でもあり、仲間でもあり、クライアントでもあり、
まぁいろんな呼び方ができると思うんですが、
僕が仕事として、就職支援ということをできたのも、
本当に彼らのおかげです。

本当に素敵な「ありがとう」をもらうことができました。
僕は幸せ者だなぁって、ホントに思いました。
僕の方こそ、みんなに本当に感謝しています。

———

就職サポートという仕事を続ける以上、
僕は毎年、絶対に全力でやりたいなって覚悟を深めることができました。
これもみんなのおかげです。

実力は高めていかなきゃいけないし、
逆にいえば、今、至らないところはたくさんあるわけですけど、
いつでも「自分の全力を尽くす」ということは、大切にしたいと思います。

後輩に積極的にアドバイスをしている姿を見て、
社会人の方の話を真剣に聞いている姿を見て、
そして何より、仲間同士で、楽しそうにお酒を飲んでいる姿を見て、
こういう”場”を持てたことが、本当に嬉しかったです。

———

帰り際、Co-ducationの立ち上げのときから一緒にやっている
仲間に「こんなに嬉しかったの、結婚式以来かも」
ポロっと言いました。僕の本音だったと思います。

2 Comments » | 2009/7/19(日) 23:14

当事者意識の範囲

category : enhanced life, リーダーシップ

今、CPLというのを、非常に意識の高い若者たちと開催しています。
省庁でこれから国を背負っていく人や、教育ベンチャーで日本を変えようとしている人、
投資銀行業務を通じて日本を元気にしようとしている人、そういう人たちと一緒に
リーダーシップの探究をしているだけで、非常に充実感があります。

ちなみにCPLというのは
Community of Practice for Leadershipの略で、私自身ライフワークにしようと
頑張っている活動です。

今日はCPLでダイアログしての気づきを書きたいと思います。

■「やりたい」vs「やらなければならない」

仕事などは「やりたい」でやるのがいいのか、
「やらなければいけない」でやるのがいいのか。

そんなテーマでの話になりました。

私自身は仕事は「やりたい」でやりたい方です。
「好きでやってるんで♪」と言いたいんですね。

例えばレストランのシェフだったら、「僕はお客さんに喜んでもらうのが大好きで
それでもう、好きでやってるんですよ、料理人を」ってタイプの人が
好きなのです。

「でも、”やるべきこと”ってありますよね??」
「僕にとっては“やりたいから、やる”より“やるべきだから、やる”の方が
 覚悟が深い感じがするんです。だから”これはやるべきだから、やるんだ”
 って人に惹かれます」

と言われて、考えてしまいました。

■「やるべき」は排他性を持っている?

「でもなんか、僕はあんまり”やるべき”って嫌いなんだよね」
「こう”すべき”って決めた瞬間、そうじゃないものを排除しそうで」

例えば「人は仕事に真剣に打ち込むべき」「残業も厭わず働くべき」
と言ってしまったとき、どうしても家族の介護のために、
仕事を休まなければいけない人を、排除してしまうのではないか。

「日本は技術立国でいくべき!というのと、日本は文化立国でいくべき!
 って共存しにくそうだよね。どちらかだけが正しくないといけない。
 でも、僕は日本の技術力を高めたいんです、と、
 僕は日本の文化力を高めたいんです、なら共存できるんじゃないの?」

そういうことを喋っていてふと気付いたのが
”人に対して””すべき”というのが嫌なんだな、と気付きました。

しかし”自分に対して””すべき”はあるかもなぁと。

■大切なことは「当事者意識」

「これはやるべきだ、やらなければならない、だから僕がやる」
「そういう人ってカッコよくないですか?」

うーん、確かに。

リーダーシップの本質の一つは【当事者意識】なのかもしれません。
「やるべき」と表現しても「やりたい」と表現しても、
そのことに対して、発言している本人が責任を感じている、
自分ごととしてとらえている場合、人はその言葉に心を動かされるのかも。

逆に言い訳に使われるといやなんですね
「こうするべき、って決まってるんだから、やってないヤツはダメだ」とか
「こうするべきだったんだから、俺のせいじゃない」とか。

大切なことは、実現したい理想の状態があって、
そこに向かって、自分の責任を解除しないことではないか。

そんな風に考えさせられました。

■高い当事者意識は、過去や現在を受け容れる。

「こうあるべきなんだ!」という強烈な意志は、
世界をよりよい方向へ導いていくときに、
必要なものにも思えます。

ただ、大切なことは理想論ばかりで、
現実と向き合わない、そういうことに陥らないことなのでしょう。

私が仕事をしていて、感激した経験の一つが、
保険代理店の仕事をしていたときのことです。
私の関わっていた事業は、日本の生命保険の高コスト構造を
変革することをミッションにしていました。

旧態依然に思われる、日本の保険会社は“敵”であり、
それを変革する正義の使者が、我々だ、というような想いがありました。

しかし、社内で事業戦略の会議をしていたときに、
日本の保険産業の成り立ちについて知った時、
私たちは全然違う想いで、同じ事業を続けることになったのです。

もともと、日本の保険産業と言うのは、
戦後、戦争で夫や息子を亡くした女性や子供が生活に困らないように
保険産業で食べていけるように、雇用を生み出すことを重視して
立ち上がったものだそうです。

そして保険は「セールスレディ」と言われるように、
多くの女性が、それを仕事として家計を支えてきました。

果たして、そういった社会的使命を帯びて頑張ってきた保険会社は
私たちの事業の敵なのか?

確かに、これだけネットが普及した社会で、
日本の生命保険は分かりにくく、販売手法も古く、
高コスト体質であることはそうだと思います。

しかし、そうなるにはそうなるなりの理由があったわけです。

「そうか、私たちの事業は、今の保険会社を”ぶっつぶす”
 みたいなことではないですね・・・・

 これまで頑張ってきた人たちに敬意を払いつつ、
 しかし、時代に即したシフトを前進させていく、
 そういう事業を私たちはしているのです・・・」

仲間の一人がそう言ったとき、その会議に参加していた誰もが、
無言で、心の底から共感していたと思います。

理想を掲げ、そこに向かって覚悟を持って、責任感をもって取り組んでいく。
と同時に、否定すべき現在にも、歴史があり、色んな人の想いがあることを
それも知った上で、やっていく。

そういうことができる人が、
本当のリーダーなんじゃないか、
そんなことを改めて考えさせられた時間でした。

3 Comments » | 2009/7/13(月) 13:35

ビジョン

category : enhanced life

世界が少し変わった。オバマの真剣な努力は一人ひとりの
心に地球人としての誇りと責任感をもたらした。

日本の政治は相変わらず遅々として進まなかったが、
NPOやソーシャルベンチャーの元気な経営者がたくさん生まれるようになってきた。
確実にこの国も変わりつつある。

エコロジー、サステナビリティというコンセプトは、
民主主義と同じくらい地球の人々にとって大切なコンセプトになってきた。
多くの国や企業が、循環系のサイクルを生み出すべく、
環境技術を発達させていっている。

人々は、物質的な贅沢をしなくなってきた。
物質的な贅沢をする人が、嘲笑されるような風潮すら出てきた。

新しい時代のリーダーたちは、
NPOやソーシャルベンチャーのリーダーとして活躍しながら、
彼らの思想的な影響は、二宮尊徳や上杉鷹山、アーヴィン・ラズロ
から多くを受けていた。

質素な生活を好み、何よりもその人間性によって周囲の人々を魅了し、
活気づけていた。

mixiなどのSNSなどは、更に進化を遂げた。
様々な活動がボランティアとして活発に行なわれている。
ゴミ清掃、電気を消す夜、ゴミ削減運動、
市区町村レベルでの電気使用料削減運動、
家庭ごとの環境バランスシート。

インターネットは遍く世界にいきわたり、
アメリカ最高の教育を、アフリカの子どもが受けている。

「どれほど多くを持っているか」は問われなくなった。
「どれほど社会に奉仕したか」そのことによって評価される時代になった。
人々はよりよい世界を生み出すために、
率先して、自発的に、能動的に貢献していく。

彼らは報酬を求めなかった。
雨や寒さをしのぐ家と、日々を過ごす最低限の食料は手元にあった。

人によっては環境技術の開発に精根を尽くし、
人によっては宗教の相互理解に尽力し、
人によっては子どもへの教育の機会や質の向上に命をかけた。

世界は劇的に変化してきた。
街をゆく人の顔に精気がみなぎっていた。
「自分は、社会にとって価値あることを為している」
その誇りが、みんなの顔に浮かんでいた。

「昨日もらったあの人からのありがとうを、
 今日この人に送ろう」

喜びと感謝に満ちた顔をしていた。

農業や漁業に従事し、人類の胃袋のために尽力する人たち、
技術開発に従事し、食料や環境負荷の制約条件をブレイクスルーさせることに尽力す
る人たち、
人々につながりをもたらし、誇り、安心、勇気、優しさを掘り起こすことに尽力する
人たち、
彼らの真剣な営みが、世界中の人々から必要とされた。

世界中から武器が放棄され、
「対話」という最高の手段が、武器の代わりにいつも用いられるようになった。
何千年という歴史の呪縛が、勇気ある人々によって解放されつつあった。

人々は以前よりもずっと、幸福の中にあった。
必要なものに必要な資源が投入されていた。
資産家の邸宅のために資源が投入されるのではなく、
世界中の子どもに必要な医療が届くように惜しみなく資源が投入された。

自分たちが善いことをなしている確信が、
一人ひとりの心の中にあった。
自分の息子のように、地球の裏側の赤ちゃんのことも愛せる自分が誇りに思えた。

人々は以前よりずっと幸福の中にあった。
水は澄み、森は繁り、動物たちは歌っていた。

——-

そんな未来を僕らは創ったんだ。

3 Comments » | 2009/1/29(木) 21:27

新しい責任の時代

category : enhanced life

オバマさんの就任演説をニュースでちょっとだけ見たけど、
ちょっと感動した。
TV越しでこれだけの力が伝わってくるってことは相当なものだなと思う。

アメリカ国民だけのことでなく、
僕も、僕自身と、日本と、世界に対する責任を自分が負っているということを自覚して暮らしていこうと思った。

とりあえず、キッチンを片付けて、トイレ掃除して、風呂掃除して、仕事しよう。
頑張ろう。

Comment now » | 2009/1/24(土) 12:28

組織って幻想だな

category : enhanced life

前々から思ってたんですけどね、組織って幻想だなって。

本当は、自己責任、自立したプロフェッショナルの個人と、
流動性、柔軟性をもったネットワークしか存在しない。

組織、として硬直性を持たせるのは、
ある集団における共通認知がそうさせるんだけど、
それは、コンセプトであって、現実ではないのだと思います。

“組織のせいだ”というのは、
僕は認めたくないですね。
言いたくなることはしょっちゅうあるのも事実だけど。

Comment now » | 2009/1/24(土) 12:28